菌のためにお米をつくる
天然麹菌の採取をやり始めてから約3年になる。まだまだわからないことだらけで、今も発見もあるし、もちろん失敗もしている。少しでも多く失敗(菌の気を損ねないよう)をしないようにと思い、試行錯誤の繰り返しだ。
その中でわかってきているのは、菌は人が想像している以上に敏感で、遠く離れている現象または行為について反応しているだろうと言うこと。今までにブログでも書いてきたように、天然菌採取には色々な条件が整わないと降りてきてくれない。ある一定の温度と湿度も大事で、今までの経験では5月の終わりと9月中頃~下旬にかけてが降りてきやすいようだ。真夏は暑すぎて、菌もバテ気味みたいだ。何度かは成功しているが、ほとんどは他の雑菌たちが占領している。温度がまだそこまで上がっていない6月辺りがベスト環境のように思っていたが、なぜか毎年6月は麹菌以外の雑菌ばかり降りてきて、うまく採取することはできなかった。それはなぜなのか、色々と考えて、家の周りだけでなく町全体を考えてみた。そうすると、麹菌が降りてきてくれなかった6月は町内のあらゆる田んぼでヘリコプターの農薬散布をする時期に重なっていた。
それをもとに、今までの6月に採取しようと時期と、その時期に合わせて農薬散布した地域を照らし合わせてみると、家から約10km近く離れている場所で農薬散布されていることがわかった。人の目線で考えると目の前で農薬散布されていると思わず口をふさいでしまうことだろう。それは目に見えたり、臭いで気づいたりと、人の五感で感じることができるからだ。10km離れている場所に農薬散布されることによって生じる環境の変化に人は感じることができない。それなら菌も感じることはない、もしくはそれは関係ないと思っていたが、僕が想像している以上に菌は神経質なのかもしれないし、10km離れていても環境にとっても負荷がかかっていることなのかもしれない。
天然菌採取で色々なことを菌たちに教えてもらった。そこで改めて考えると、僕たちの住んでいる若桜町内で自然栽培の農家さんは居なくて、すべて慣行栽培(農薬、肥料を使う農法)だった。今は何とか降りてきてくれるけど、今の環境ならいつ菌たちが降りてきてくれなくなってもおかしくないのじゃないかと危機感を感じるようになった。今、自分たちだけが採取出来ればいいのじゃなくて、これからも菌が採取し続けられる環境を次世代に残していきたいと思い、どうしたらいいのか考えてみた。
そこで農家たちさんにお願いして、少しでもいい、自分たちが作っている田んぼの少しでも良いから自然栽培にしてもらえないか農家さんにお願いして回った。多くは収量や病気が気になっていて、収量が落ちても損が出ない価格で購入しますとお伝えしても、隣の畑に迷惑がかかるからと誰も承諾してもらえなかった。田舎で自然栽培をするにはここまでハードルが高いのだと、改めて思い知らされた。
若桜町はきれいな山々に囲まれて、きれいな川も流れている。そんな環境を繋げていきたいと思うし、その1つの指標として菌目線も大事なのではと思う。
慣行栽培を批判するつもりはないし、必要な作り方だと思う。ただ、菌が居なくなってからでは取り返しがつかない。どうすればいいのか悩んだ挙句の果て、自分たちで田んぼをすることにした。
これは僕たちの菌に対する感謝の気持ちであり、菌を採取させてもらっているので、菌の住みやすい環境を少しでも提供するのは当たり前のことだと思う。本当に少しの面積しかしてないので、本当に少しずつ。菌にとって意味があるのか正直わからないけど、菌に嫌われない為にできることは少しでもしたいし、菌たちは見ているので菌たち僕たちの可能性を感じてもらいたい。
収量は目的ではないけど、収穫したお米は全然足りていなかった糀用に使いたいと思っている。
日本人はお米の文化と共に発展してきて、その隣にはいつも麹菌がいた。いつしか純粋培養菌に日本の発酵食文化は頼りすぎてきた為、天然菌を忘れてしまった。目に見えない菌や自然を想う気持ちが日本人の心のように思う。
普段の仕事で手一杯なので正直なところだが、僕たちは資本を貯めるより、菌を貯めたい。資本が無ければ仕事を続けれないが、菌が無くても続けれない。
僕たちにとって菌はとても大事なのだ。
この一年間、僕たちがどのようにお米を作り、お米と関わってきたのか、知らせていきたいと思う。
僕たちと菌たちの物語のスタートだ。