農家さんが見える喜び

農家さんが見える喜び

今まで働いていた味噌屋では定期的に大量の原料が入ってきた。その産地はそれぞれで、県外から来るものや海外から来るものもあった。それらは大型のトラックで運ばれてくる。手配しているのは農家さんではなく、問屋さんだ。その問屋さんの上にはもっとでかい問屋さんがいて、加工業者が生産者さんの顔を思い浮かべることは無かった。それくらい生産者さんは遠い存在だった。今思うと国内産という情報だけでお味噌を造ることは考えられない。

先週作った古代米の糀

そもそも産地なんてものは当てにならなくて、企業が良いように使っている一つの基準でしかない。同じ産地で同じ品種でも作り手によっては味が違うし、もっというなら同じ生産者でも圃場が違えば味も違ってくる。その農家さんの想いや作り方、圃場の環境などがわかってはじめて味噌造りが始まる。

今まで見えなかった農家さんが見えるようになって、お米や大豆に対する愛情が増した。その農家さんを思いながら、また発した言葉や圃場を思い出しながら、お味噌をイメージしていく。
また菌も自分達で採取した天然菌で醸していく。いつも使っている山からの水も、水源を確認して、山中を歩いて木々や植生を見て山全体を把握する。今まで当たり前のように使っていた原料が実は全然わかっていなかった。今では、今までわからなかった、見えていなかったものが少しずつ見えはじめて、味噌造りが楽しくなってきた。またそれを食べてくれる消費者さんの顔も見えてきた。

今週も蒜山耕藝さんのお米と大豆を使ってお味噌を仕込んでいる。お米を精米して洗う時間が既に楽しい。今、蒸し上げを終えたところ。お米たちの顔はつやつやしていて、話しかけてくれているよう。味も申し分なく美味しい。菌とお米がお互い求めあっている感じがする。蒜山耕藝さんの顔を思い浮かべながら、蒜山の景色を思いつつ、お味噌に仕上げていく。農家さんが見えるというのは、造り手にとって励みになる。その農家さんたちが丹精込めて作ったお米や大豆を大事に醸していきたい。

色々なお味噌

色々なお味噌たち

古代米の赤米(自然栽培) この赤み具合が何とも神々しい

今月は自分達のお店用ではなく、持ち込みのお味噌を仕込んでいる。自分達が育てた原料でお願いされたり、この品種を天然菌で味噌にして欲しいと言われたり、色んな場所から味噌好きな方からの原料が集まってくる。
先月からそれらを醸している。

古代米の緑米(自然栽培)


古代米や希少な在来種が集まってきて、造り手としては、とてもわくわくする。

在来種の赤大豆(自然栽培) 古代米の赤米と合わせて天然菌でお味噌にする。古代から受け繋がれてきた品種を天然菌がどう醸すのか、とても楽しみな味噌


2~3種類の少量の味噌を造る方が効率や生産性も高まるが、色んな農家さんに出会い、いろんな原料が持ち込まれると、味噌にしたくてたまらなくなり、気持ちが押さえられない。

在来種の緑大豆(自然栽培) こちらも古代米の緑米と合わせてお味噌にする。緑米と緑大豆が天然菌でどう醸されていくのか、楽しみ

原料ごとに発酵の仕方は異なる。お米にしても天然菌との相性や、水分量、水分の吸収率、温度変化など様々。その無数の変化を感じながら醸していくと、どんどん神経が研ぎ澄まされていくような感覚になっていく。

在来種のもち大豆(自然栽培) これは鳥取・丸瀬家さんのもの。当店の定番商品である白みそに使わせてもらっている。甘みが強く、甘さを大事とする白みそとの相性は最高

無規律であるほど、菌との会話も増えてくる。
頭の中には造りたい味噌が無数にあるが、時間をかけて少しずつ形にしていけたらと思う。

丹波種の黒大豆 今週は黒豆みそも造る

縁の下の力持ち

京都でお味噌の勉強を約8年勉強させて頂いた味噌屋の社長の言葉が、独立してからもずっと頭の中に残っている。いざ一人で糀に向き合っていると菌の声と同時に社長の声も聞こえてくる。お米の蒸し方、引き込み温度、手入れ、仕込み、お客さまとの向き合い方、その他仕事全般に至るまで、無数の言葉がそれぞれの作業の時によぎる。何かわからないときに頭の中の引き出しから引っ張ってくる。8年間付きっきりで教えてくれた時間が今になって活きてきている。
その中で常に意識しているのが、『味噌屋は縁の下の力持ちであるべき』という言葉。


京都にいた頃は、どんなに美味しいお味噌を造っても、得意先の料理屋さんでお味噌汁が料理のメインになることはなかった。お店に人が行列をなすことはなく、常連さんがちらほら来られるだけ。メディアに取り上げられることも少なく、静かな職場だった。京都のど真ん中にも関わらず、蔵の中は森の中に居るような静けさだった。僕はそんな環境が心地よかった。味噌屋は目立たないけど、町に中には必要な存在なのだ。

お味噌はいつも脇役で主役を支える存在。表舞台には立てないけど、良い脇役に徹する。そういう思いでやってきた。でしゃばりすぎず、やるべきことをコツコツやる。
近年は発酵ブームと呼ばれていて、発酵について取り上げられる雑誌も増えたし、発酵とはこうあるべきだと発言する人も増えてきた。発酵に興味を持ってくれる人が増えるのはうれしいが、僕はどこか複雑な気持ちになる。発酵は人がするものではなく、菌が働くもの。人は菌のことを考え、感じ、支えるだけ。その関係性は何万年も前からある。発酵において、人が主役になってはいけない。もちろん菌を操作してはいけないし、必要以上に食い物の道具にしてはいけない。畏敬の念をもつことが大事だと思う。

僕はなるべく表舞台に出ないようにして、その分お味噌を通して表現出来たらと思っている。なので、基本的にイベントには参加しないし、公演などのお仕事も断れる範囲でお断りしている。菌が主役であり、作物を育ててくれている農家さんが主役であるべきだと思うから。

これからも菌と向き合い、粛々と作業をして、農家さんに感謝しつつ、日々の暮らしの中でお味噌を使ってくれている方の縁の下の力持ちでありたいと思う。