京都でお味噌の勉強を約8年勉強させて頂いた味噌屋の社長の言葉が、独立してからもずっと頭の中に残っている。いざ一人で糀に向き合っていると菌の声と同時に社長の声も聞こえてくる。お米の蒸し方、引き込み温度、手入れ、仕込み、お客さまとの向き合い方、その他仕事全般に至るまで、無数の言葉がそれぞれの作業の時によぎる。何かわからないときに頭の中の引き出しから引っ張ってくる。8年間付きっきりで教えてくれた時間が今になって活きてきている。
その中で常に意識しているのが、『味噌屋は縁の下の力持ちであるべき』という言葉。
京都にいた頃は、どんなに美味しいお味噌を造っても、得意先の料理屋さんでお味噌汁が料理のメインになることはなかった。お店に人が行列をなすことはなく、常連さんがちらほら来られるだけ。メディアに取り上げられることも少なく、静かな職場だった。京都のど真ん中にも関わらず、蔵の中は森の中に居るような静けさだった。僕はそんな環境が心地よかった。味噌屋は目立たないけど、町に中には必要な存在なのだ。
お味噌はいつも脇役で主役を支える存在。表舞台には立てないけど、良い脇役に徹する。そういう思いでやってきた。でしゃばりすぎず、やるべきことをコツコツやる。
近年は発酵ブームと呼ばれていて、発酵について取り上げられる雑誌も増えたし、発酵とはこうあるべきだと発言する人も増えてきた。発酵に興味を持ってくれる人が増えるのはうれしいが、僕はどこか複雑な気持ちになる。発酵は人がするものではなく、菌が働くもの。人は菌のことを考え、感じ、支えるだけ。その関係性は何万年も前からある。発酵において、人が主役になってはいけない。もちろん菌を操作してはいけないし、必要以上に食い物の道具にしてはいけない。畏敬の念をもつことが大事だと思う。
僕はなるべく表舞台に出ないようにして、その分お味噌を通して表現出来たらと思っている。なので、基本的にイベントには参加しないし、公演などのお仕事も断れる範囲でお断りしている。菌が主役であり、作物を育ててくれている農家さんが主役であるべきだと思うから。
これからも菌と向き合い、粛々と作業をして、農家さんに感謝しつつ、日々の暮らしの中でお味噌を使ってくれている方の縁の下の力持ちでありたいと思う。